境界を含まない判断は無責任である
判断において最も重い問題は、間違った結論そのものではない。責任の所在が確定しない判断が行われることである。境界を含まない判断は、結果が出た瞬間から、誰の判断だったのかを特定できなくなる。
境界とは、判断がどこまでを引き受け、どこから先を引き受けないのかを示す線である。この線が引かれていない判断では、成功も失敗も曖昧になる。成果は共有され、問題は分散される。これが責任帰属不能の状態である。
境界を含まない判断は、一見すると柔軟で協調的に見える。誰の領域でもあり、誰の領域でもない。だがその実態は、判断主体が消失している状態である。主体が無ければ、修正も改善も成立しない。
責任帰属不能の判断では、問題が起きた際に次の行動が取れない。誰が直すのか、どこまで直すのか、どの範囲で止めるのか。これらを決める基準が存在しないため、対応は場当たり的になり、再発を防げない。
多くの現場で使われる「みんなで決めた」「全体として判断した」という言葉は、境界未設定の典型である。これは連帯ではない。責任を特定できない構造を正当化する言語である。
境界を含む判断とは、責任を引き受ける判断である。どこまでが自分の判断で、どこから先は条件外か。この線を明示することで、判断は初めて現実の行動として成立する。
責任を明確にすることは、個人を追い込むためではない。むしろ逆である。責任が確定していれば、撤退・修正・停止が可能になる。責任が無い判断ほど、止められない。
境界を含まない判断は、短期的には摩擦を避けられる。しかし時間が経つほど、負債として蓄積する。誰も引き取らない問題、誰も終わらせられない案件。これらはすべて、境界を含まなかった判断の後遺症である。
無責任とは、意図的に責任を放棄することだけを指さない。責任が帰属しない形で判断を出すことそのものが、無責任なのである。
境界を含まない判断は無責任である。この原則は厳しく聞こえるかもしれない。しかしそれは、人を責めるための言葉ではない。判断を成立させるために不可欠な前提確認である。